2026年02月03日
利根中央病院
循環器センター 医長
山口 実穂
はじめに:がん治療の進歩と「心臓への影響」
近年、がんの診断・治療技術は飛躍的な進歩を遂げています。かつては治癒が難しいとされたがんも、現在では多くの方が長期にわたって生存できるようになりました。わが国のがん患者さんの5年生存率は年々向上しており、がんを経験した「がんサバイバー」と呼ばれる方は、今や500万人を超えると推計されています。
しかし、がんを克服する方が増えた一方で、新たな課題も明らかになってきました。それが、がん治療が心臓や血管に及ぼす影響、いわゆる「がん治療関連心血管毒性(cancer therapy-related cardiovascular toxicity:CTR-CVT)」です。
がんの治療(薬物療法や放射線治療)が、がん細胞だけでなく、心臓や血管にも少なからずダメージを与えてしまうことがあります。この副作用は、単に体調を崩すだけでなく、心不全などの重大な合併症を引き起こしたり、本来受けるべき有効ながん治療を中断せざるを得なくなったりする原因にもなります。
治療後数年経ってから現れるリスク
意外に思われるかもしれませんが、心血管への影響は治療中だけではありません。治療が終わってから数年、あるいは十数年という長い年月を経てから現れる「晩期合併症」も存在します。
例えば乳がんの患者さんの場合、近年の治療成績の向上により、乳がんそのもので亡くなる方は減っています。しかし、診断から10年以上が経過すると、乳がんそのものよりも、心血管疾患によって亡くなる方の割合が高くなるというデータもあります。せっかくがんを完治させても、その後の心臓の病気で生活の質を落としたり、命を落としたりしては元も子もありません。
こうした背景から、がん治療の開始前から治療中、そして治療終了後まで、一貫して心臓を守り続ける「腫瘍循環器」という分野が重要視されています。当院でも、2024年4月より「腫瘍循環器外来」を開設し、患者さんが安心してがん治療を完遂し、その後の生活を健やかに送れるようサポートを行っています。
注意したい3つの疾患:心不全・心房細動・高血圧
がん治療に関連して起こりやすい心血管のトラブルのうち、特に有病率が高く、注意が必要な3つの疾患について解説します。
- 1. 心不全・心機能障害
- 「がん」と「心不全」には、実は深い関わりがあります。どちらも、加齢、喫煙、不規則な生活習慣などが共通のリスク因子であり、互いに発症を促進し合う「がん心臓連関」という関係が指摘されています。
- 特定の抗がん薬(アントラサイクリン系、抗HER2薬、免疫チェックポイント阻害薬など)や胸部への放射線治療などは、心臓のポンプ機能を低下させることがあります。
- サイン:以前は平気だった動作で息が切れる、足がむくむ、疲れやすいといった症状には注意が必要です。
- 2. 心房細動(不整脈の一つ)
- 心臓が細かく震え、リズムが乱れる「心房細動」も、がん患者さんに多く見られます。がんによる全身の炎症や、栄養状態の低下、自律神経の変化などが原因となります。
- サイン: 動悸(胸がドキドキする)、息切れ、胸の不快感など。無症状の場合もありますが、放置すると心不全や、重い後遺症を残す脳梗塞の原因にもなります。
- 3. 高血圧
- 多くの種類の抗がん薬やホルモン療法が血圧に影響を与えるため、治療中はもちろん、治療が終わった後も長期的な血圧管理が欠かせません。
- また、高血圧自体ががん(腎がんや大腸がんなど)の発症リスクを高めることも分かっています。
心臓のリハビリで「動ける体」を取り戻す
こうした副作用に対抗するための新しい取り組みとして、当院では2024年10月より「腫瘍循環器リハビリテーション(cardio-oncology rehabilitation:CORE(コア))」を開始しました。
これは、循環器領域で培われた「心臓リハビリテーション」のノウハウを、がん患者さんのケアに応用したものです。専門のスタッフの指導のもとで適切な運動療法や生活指導を行うことで、がん治療でダメージを受けた心臓や血管の機能を回復させ、体力の低下を防ぎます。
COREを行うことで、生活の質の改善、心肺機能の向上、さらにはがんや心臓病の再発予防にもつながることが期待されています。
気になることがあればご相談ください
がんの治療中に「少し息が苦しいけれど、治療の副作用だから仕方ない」と我慢してしまう方は少なくありません。しかし、それは心臓からの大切なサインかもしれません。
もし、治療中や治療後の方で、息切れ、動悸、むくみ、あるいは急な血圧の上昇など、気になる症状があれば、どんなに些細なことでも構いませんので、早めに主治医や当院の腫瘍循環器外来にご相談ください。特に自覚症状がない場合でも、「将来の心臓が心配」といった不安に寄り添い、適切なモニタリングを行っていくことが私たちの役割です。
がんと心臓、どちらの病気にも負けない体づくりを、私たちと一緒に目指していきましょう。